離婚しました

日々の出来事

トアヒです

6月21日に家を出てから約2か月が経ちました

 

家を出たときの記事はこちら

 

本日8月28日に離婚が成立しました

家を出る時に離婚届に記入と押印してきた書類を妻が区役所に提出してきました

実感はあまりありませんが

なぜか寂しい気持ちになります

離婚したのはトアヒ家を出たことが理由でもありますが

私たち夫婦は以前から夫婦生活が破綻していたので

娘がある程度大きくなったら離婚をしようと話をしていました

結果は考えていたよりも早く離婚することになってしまいました

離婚の理由は多々ありますが

誰が悪いとかでは無くお互いを思いやる気持ちが無くなったことが

大きいと思います

夫婦の時はケンカなど言い争いもありましたが

離婚した今は良好な関係なので円満離婚だと思っています

付き合ってた時も含め11年一緒に居てくれた妻には感謝しかありません

離婚にあたり慰謝料の支払いはありません

トアヒが娘の養育費と妻の借金の一部を払います

娘には基本会いたいときに会えることになっています

妻もいつでも娘には会ってあげてほしいと言ってくれています

離婚したことでトアヒのキャッシュカードは返して貰えます

これで少しは生活が楽になります

ちなみに大きい額はありませんが口座にあるお金は妻に

引き取ってもらいました

トアヒが出来るのはこれぐらいなので

今、トアヒがブログを書いている横で娘が動画を見ています

娘には本当に申し訳なく思っています

これからは出来る限り娘に会える時は会いたいと思っています

 

 


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コメント

  1. 負け犬 より:

    義父&義母さんは娘&孫が心配で死んでも死にきれないでしょうね。
    トアヒさんも娘の旦那がトアヒさんみたいだったら嫌ですよね?
    そういった事を考えて行動してれば離婚せずに済んだかもしれないので残念です。
    そもそも何で定職に就けなかったんですか?
    定職に就けないのに結婚するのが間違いだったんじゃないですかね?
    自分は定職に就きたくないので結婚する気もありません。
    離婚するのが目に見えるので…(笑)
    取り敢えず今後も就活&借金返済など大変かと思いますが頑張って下さい!

    • トアヒ トアヒ より:

      いつもコメントありがとうございます
      加えて応援ありがとうございます

      たしかに負け犬さんの言う通りだと思います
      結婚したときは正社員の仕事をしており
      妻が働かなくてもいいぐらいの年収を貰っていました
      ですが世の中どうなるか分かりませんね?
      子供が小学生の時に無職で離婚するなんて
      夢にも思っていませんでした
      ですが過去を後悔したところでなにも変わりません
      大事なのはこれからの未来だと思っています
      離婚しても娘にあることは変わりません
      これまで以上に娘を大事にしていきたいと思います

      今後も【元期間工40歳の無職ブログ】をよろしくお願いします

  2. お久しぶりです。

    雪風チャンネルです。

    貴方が職業訓練校で宅建の勉強を(お金をいただきながら)受講できるということは、受けたくても選考で落ちて受けられなかった人がいるということだけは忘れないでくださいね。

    私が大好きな言葉を、ある方のブログから引用したいと思います。

    「男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」という慣用句があります。原文は『三国志演義』が出典で、呉(ご)の武将(ぶしょう)呂蒙(りょもう)の故事から出ています。

    こんな逸話(いつわ)です。

    呂蒙という人は、呉王(ごおう)孫権(そんけん)に度々重んじられてきましたが、家がもともと貧しく、学問に触れる機会もなかったこともあり、武力一辺倒で学問に全く興味のない人でした。そのため、書類なども自分が話した内容を聞き取らせて、部下に作成してもらっていたそうです。そんな呂蒙の学識のなさを笑って、人々は、「呉下の阿蒙(ごかのあもう)」とからかっていたのです。「阿蒙」というのは、今で言う「蒙ちゃん」といったニュアンスで、さげすんだ言い方ではなく、親しみを込めて、「おばかな蒙ちゃん」的な感じでからかっていました。
    そんないつまでも「阿蒙」のままでいる呂蒙を見かねた呉王孫権は呂蒙に学問を勧めましたが、はじめのうち呂蒙は「軍中は何かと忙しく、書物を読む時間を取れない」と言い返していました。しかし、孫権は「博士になろうとしなくていいから、歴史を見渡して見識を広めてみてはどうか」と、どの書物を読んで学ぶべきかを教えたともいいます。国王にそこまで言われたら、やらざるをえません。呂蒙は発奮して、勉学にも本腰を入れ、やがて本職の儒学者たちをもしのぐほど読書をし、勉強を続け、見る見るうちに教養を身につけます。
    勇猛(ゆうもう)なだけで無学であった呂蒙を軽蔑(けいべつ)していた知識人の魯粛(ろしゅく)は、日に日に上がる呂蒙の評判を聞いて挨拶(あいさつ)に向かいました。実際に語り合った呂蒙は、以前とは比べ物にならないくらい豊かな学識を兼ね備えた大人物へと成長していたのです。
    おどろいた魯粛は、「昔言われていた『呉下の阿蒙』であったとはとても思えない」と称賛(しょうさん)しました。これに対して呂蒙は「士別れて三日、即(すなわ)ち更(さら)に刮目(かつもく)して相待すべし」、つまり「士たるもの、別れて三日もすれば大いに成長しているものであって、また次に会う時が目をこすって違う目でみなければなりませんよ」と答えたのです。

    人間だれもが能力を持っている。外見からはわからないほど、色々な能力をもっているのである。この慣用句も、三日間というわずかな時間でも人間は変わることができるということを言っているのですが、この呂蒙の逸話から、みなさんには3つの大切な事をわかってもらいたいのです。

    一つは、孫権が呂蒙に学問を勧めたこと。つまり、変わるための「きっかけ」があったとうこと。
    一つは、呂蒙が変わることができたのは、変わるために勉学に励むなど努力を続けたということ。つまり、人は自分の考え方や行いを「変える」ことで、変わるんだということ。
    一つは、呂蒙は、自分のためを思って言ってくれる孫権の言葉を「素直」に受け入れたこと。
    つまり呂蒙は、孫権の言葉を「きっかけ」に、「素直」にその言葉に従い、自分を「変える」ための努力を惜しまなかったことで大いに成長できたのです。

    今のトアヒさんの状況だけを見て小馬鹿にする人間もいるでしょうが、人はいつでも変われる生き物ですから、今の姿だけで人を判断してはいけない戒めの言葉ではないかと個人的には感じています。

    本気になれば必ず合格できる試験ですから、与えられた強運の状況を打開してくださいね。

    応援しています。

    • トアヒ トアヒ より:

      お久しぶりです

      いつもコメントありがとうございます
      雪風チャンネルさんのお言葉にはいつも励まされています
      ありがとうございます

      職業訓練を受けられることは幸運だと思っています
      宅建の勉強は大変ですが頂いたチャンスを無駄にしないようにします
      私は妻と娘を幸せに出来なかったクズです
      批判的なコメントや小バカにしたコメントも真摯に受けようと思います
      そもそもバカなのであまりそんなコメントは気になりません(笑)
      むしろ私のブログを見てくれているんだと思い感謝しています

      雪風チャンネルさんのコメントにはいつも勉強させてもらっています
      同時に救われています
      ありがとうございます

      今後もよろしくお願いします